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28歳女子 酒と音楽と昼寝

1年ぶりの投稿になってた!!!

ブログの存在をすっかり忘れて、ふと書きたいなーーと思った時に、このページを開いてびっくりした。

 

、、、あれ?1年前の自分めっちゃ暗くないか?と笑ってしまった。

そんなこんなで1年経って現在無職31歳。

これだけみると、結構落ちぶれてるなあーって思うけど、一応来月からは働く。今はしばしのお暇です。

さて、この1年はわたしにとってすごく大切な1年だった。

私が1年で分かったことと考えが変わったことは、以下の通り。

恋愛体質じゃなくなった

先の見えない未来の不安とか考えなくなったし、なくなった

何かに依存するということがなくなった(以前はサウナと食と恋愛)

酒が弱くなった

人生は大体どうにかなるようにできている

ということです笑

 

五月末に仕事を辞め、西日本を連日旅した。

先々のことを考えず、ただひたすら目の前の美しい海を眺め電車に揺られてみたり、美味しいご飯を食べて、道行く人をぼんやり眺めてみたり、美しい絵画や建築、景色をみて自分の心の変化を丁寧に観察する。いつもは明日からの仕事や、将来のこと、恋人や家族、友人のことを思ってあれこれ考えたり、頭を整理するために旅をしていた節もある。だけど今回は本当に特に何も考えず目の前に起こっている事だけに目を向けてみたのだ。

すると、なんだか自分の今までの悩みとか、この大きな地球で、とってもちっぽけでだなーと思えて悩むことが馬鹿らしくなった。そしたら、なんだか、悲しかったことや嫌なことがスルスルと体からすり抜ける感覚があった。肩の力もぬけ、まぁいっかと思えるようになったのだ。

 

旅の帰りのフェリーでは、すっきりした顔で気持ちの良い疲労感(多分達成感に似てる)で心地よかった。

安堵の気持ちで高松空港から成田行きの飛行機に飛び乗ると、見覚えのある顔があった。

 

そう、2021年12月に別れた彼だった。

 

驚きのあまり、思わず電話したら、ビンゴ。

今まであんなに近所に住んでて会うことなかったのに、まさか高山で会うなんて、日本は狭いのか、はたまた出会う運命だったのか。あんなに再会を躊躇していたのに、いざ会ってみると、彼に対する気持ちは全くなかった。

そうか、わたしは彼との4年半とようやくお別れできたのだ。ありがとう神様、ありがとう有休消化。そんな夏の始まりだった。

 

その後、ブラック企業(訪問看護)を二十日で退社、就活をゆるくしながら、ニートを満喫して今に至る。

 

周りは結婚や恋愛に焦る人もいるし妊活や子育て、親の介護や、家族の病気、色々大人って悩むことがある。だけど、なぜかわたしは何にも追われてない。それが幸せかどうか分からないけど、前向きにポジティブに真摯に自分と向き合う余裕はできたようだ。

 

数年前の、ゼクシィのcmで言っていた

 

「結婚しなくても幸せになれるこの時代に、私は、あなたと結婚したいのです」

 

結婚はきっと素晴らしい、それはいつの時代も変わらず思うだろう。愛する人と家族になって、いつか同じお墓に入れたらいいな、なんて、漠然とした夢はある。今は結婚しなくても満ち足りている。だけど幸せな未来があるか分からないけど、同じ人生を歩んでいきたいと思える人に出会えたら、きっとこの言葉の意味を噛み締めることができるのだろう。

その日まで、今できることをやろう。今はまだ、自分のために、生きていきたいと思う。

1年半経っていた

 

前回の波乱に満ち溢れた記事から1年半経っていた。

 

あれから、岡本裕二さんは大豆田とわ子という名ドラマを私たちに届けてくれた。

カテゴライズにこだわらない幸せの在り方について教えてくれた。伊藤沙莉ちゃんのナレーションで悲しい出来事や、くっそーって事も、コミカルな感じで受け流せてまぁそういうこともあるよな、と思わせてくれた。

脳内伊藤沙莉が私の生活でもしばらく続いたのはいうまでもない。

 

さて、あれから私の恋愛はと言うと、

一度は結婚指輪も買いに行ったが、彼からやはり別れようと言われ、4年半の恋に、終止符が打たれたのだ。

5年ぶりの一人で過ごすクリスマスや年末年始は寂しかったし、私は一人でもやっていけるぞ、強いぞ、と冬は張り切っていた。

 

がしかし、

5月にはメソメソ泣いた。

 

これが世の5月病かと20代最後に実感。

 

別に恋愛を辞めたわけじゃないし、それなりにアプリでデートもした。好きにもなった。だけど、何故だかすぐに別れる事態が続いた。

 

そして今、特に何もない。

30になって、何が残ってるだろうか。

ありがたいことに健康な体、数少ない友人、家族、恋愛経験、??

1年半前の記事を久しぶりにみて、思った!

明るい未来について考えるのを忘れてないか?と。

 

あれから色々あり、疲れてしまったし、自分をこれでもかって位否定したし、沢山後悔した。

人生イージーモードとかいってた27歳が懐かしい笑

 

そんなこんな、色々考えまくった、この2022年。

夏が終わり思うのは、自分を認めるのはやっぱり自分しかいないと言うこと。

 

まずは自分を褒めよう、よく頑張った、よく生きてるよ!と(こんなことは恥ずかしくて絶対人には言えないし、自分しか見てないからまぁいっか〜)

とりあえず、自分へのご褒美に欲しかったMOSCOTのレムトッシュを買った。

2色買いしたかったが流石になぁ〜と思っていたら店員さんに、もう一つはプレゼントしてもらいましょう。と言われた。はい!そうします!と言ったが、残念ながら実際はプレゼントしてくれる相手はいない笑

 

とまぁ、明るい未来が来るのか分からないが、自分を信じてみることにする!

いつか、このブログを見返した時に愛する人が隣にいたら嬉しい。

 

日々のなんてことないことを、また綴りたい。

「花束みたいな恋をした」

私の第一回ブログを記念して、最近みた映画について話そうと思う。

私は色々あって四年付き合った彼と婚約破棄した。

 

ラブラブだった時代に彼とこの作品のcmをみて、公開したら一緒に観に行こうと約束したのだった。

ところがだ、こんなことになり脳内フリーズ。

恋愛映画を観るのはいかがなものだろうかと思ったが、大好きな坂元裕二の脚本を見逃すわけはいかないと公開翌日に映画館へ足を運んだ。

 

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結果、ハマった

 

とにかくとにかく自分の過去とリンクするとこが多すぎて、胸を弾ませたら締め付けられたりキュンとしたり悲しんだりと、気持ちが台風状態。

(ちなみに麦くんと絹ちゃんのような容姿は持ち合わせておらず、花束を持ちながら焼きそばパンを食べた過去はない)

 

余韻から何週間も抜けられず、もちろんノベライズも読んだ。

はあ〜〜〜なんと美しい言葉たちなのだ。

サンキュー押しボタン式信号はドラマカルテットを連想させた。

坂元裕二世界遺産、天然記念物、人間国宝だ。

 

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今回の映画は

出会い→幸せな二人の時間→少しずつ離れていく二人の時間→別れ、の4年間を描いている。

ファミレス、おうちで広げたカーテン、350mlの缶ビール、ceroの話、等々、もう〜たまらなかった。

 

同じシーンなのに二人の心境の変化で全く違う景色に見えて、、、あーわかるこれ。ってなった。

 

ファミレスで別れのシーン、なぜファミレスなのか?と思ったのだけど、なんとなくわかった気がした。

思うに、麦くんはあそこで楽しかった思い出を思い出して、やっぱりやり直したいと、絹ちゃんは楽しかった思い出の場所に行って、やっぱり前と同じようにはなれない、と再確認したかったのだと思った。

 

こんな素敵な二人の恋が終わるのはとても悲しいし、とても別れることを消化しきれない!!と映画を見た直後は思った。

 

だけど時間が経つにつれて、わかった気がした。

幸せな時間や空間が、お互い重く気まずい空間にしたくないし、好きだった二人の記憶が辛い二人に上書きされていく方が悲しいと思ったのだ。

 

 

現に私がそうで、

別れなきゃいけないのに、一方が別れたくないから、お互い無理して一緒にいた。

結局幸せな家も居心地の悪い家になって、愛おしかった相手も、赤の他人に見えて、重い空気になってしまったのだ。

お互いにノイローゼなのか?というくらい顔が固まるし心にぽっかり穴が開いてしまった。

 

そんな時、ふと雑誌でこんなページをみた

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高倉健さんの言葉だ。

この言葉をみて、自分は今いい風が吹いてないし、自分からいい風が吹いているところに行かなきゃいけないのだ、と思った。

そしたら、なんだか、別れた後の幸せについても考えられて、急に心が楽になった。相手の幸せもこころから願えるようになったのだ。

 

結果的に彼とは別れていないが、この先どちらの選択をしても、じっとせず、いい風の吹く方に生きていきたいと思っている。

 

幸せな二人であってもすれ違う事はあるし、必ずしもハッピーエンドばかりではない。

いつか私も、「花束みたいな恋をした」と思える時が来たらいいと思う。