「花束みたいな恋をした」
私の第一回ブログを記念して、最近みた映画について話そうと思う。
私は色々あって四年付き合った彼と婚約破棄した。
ラブラブだった時代に彼とこの作品のcmをみて、公開したら一緒に観に行こうと約束したのだった。
ところがだ、こんなことになり脳内フリーズ。
恋愛映画を観るのはいかがなものだろうかと思ったが、大好きな坂元裕二の脚本を見逃すわけはいかないと公開翌日に映画館へ足を運んだ。
結果、ハマった
とにかくとにかく自分の過去とリンクするとこが多すぎて、胸を弾ませたら締め付けられたりキュンとしたり悲しんだりと、気持ちが台風状態。
(ちなみに麦くんと絹ちゃんのような容姿は持ち合わせておらず、花束を持ちながら焼きそばパンを食べた過去はない)
余韻から何週間も抜けられず、もちろんノベライズも読んだ。
はあ〜〜〜なんと美しい言葉たちなのだ。
サンキュー押しボタン式信号はドラマカルテットを連想させた。
今回の映画は
出会い→幸せな二人の時間→少しずつ離れていく二人の時間→別れ、の4年間を描いている。
ファミレス、おうちで広げたカーテン、350mlの缶ビール、ceroの話、等々、もう〜たまらなかった。
同じシーンなのに二人の心境の変化で全く違う景色に見えて、、、あーわかるこれ。ってなった。
ファミレスで別れのシーン、なぜファミレスなのか?と思ったのだけど、なんとなくわかった気がした。
思うに、麦くんはあそこで楽しかった思い出を思い出して、やっぱりやり直したいと、絹ちゃんは楽しかった思い出の場所に行って、やっぱり前と同じようにはなれない、と再確認したかったのだと思った。
こんな素敵な二人の恋が終わるのはとても悲しいし、とても別れることを消化しきれない!!と映画を見た直後は思った。
だけど時間が経つにつれて、わかった気がした。
幸せな時間や空間が、お互い重く気まずい空間にしたくないし、好きだった二人の記憶が辛い二人に上書きされていく方が悲しいと思ったのだ。
現に私がそうで、
別れなきゃいけないのに、一方が別れたくないから、お互い無理して一緒にいた。
結局幸せな家も居心地の悪い家になって、愛おしかった相手も、赤の他人に見えて、重い空気になってしまったのだ。
お互いにノイローゼなのか?というくらい顔が固まるし心にぽっかり穴が開いてしまった。
そんな時、ふと雑誌でこんなページをみた
高倉健さんの言葉だ。
この言葉をみて、自分は今いい風が吹いてないし、自分からいい風が吹いているところに行かなきゃいけないのだ、と思った。
そしたら、なんだか、別れた後の幸せについても考えられて、急に心が楽になった。相手の幸せもこころから願えるようになったのだ。
結果的に彼とは別れていないが、この先どちらの選択をしても、じっとせず、いい風の吹く方に生きていきたいと思っている。
幸せな二人であってもすれ違う事はあるし、必ずしもハッピーエンドばかりではない。
いつか私も、「花束みたいな恋をした」と思える時が来たらいいと思う。